最近、前に進みたい気持ちはあるのに、どこか足が止まる感覚がありました。
やる気がないわけではないんです。
強く望んでいることなのに行動に移せない。
考えていることも、むしろ増えている。
でも、以前のように「よし、やろう」と勢いにまかせて動く感じがありません。
最初は少し戸惑いました。
年齢のせいなのか、疲れているのか、それとも迷っているのか。
そんなことを考えているうちに、ふと気づいたことがあります。
もしかするとぼくは、新しい場所へ進もうとしているのではなく、ずっと前から持っていた「設計図」を思い出そうとしているのかもしれない、と。
今回は、その気づきについて書きたいと思います。
海辺のカフェの記憶
何年か前からぼくは、高校生の頃によく通っていた海辺のカフェのことをよく思い出します。
特別な出来事があったわけではありません。
ただ、海を眺めながら、マスターの話を聞いたり、仲間とぼんやり過ごしていた時間の記憶です。
でも、あの海辺のカフェのある、あの時代の記憶は、ぼくの宝物です。
高校生なので、卒業後の進路をどうするのか考えることもありましたが、急ぐ必要もなく、何かを証明する必要もなく、まだ途中のままでいられた時間だったように思います。
当時の自分も、目指したいものは心の中にそっと持っていましたが、具体的にどう行動したらいいかわかりませんでした。
とはいえ、将来が決まっていたわけでもなく、むしろ何者でもない状態だったはずなのに、なぜか心地よかった感覚だけは、はっきり残っています。
戻りたいのではないのかもしれない
最初は、その頃に戻りたいのだと思っていました。
けれど、少し考えているうちに、違う気がしてきました。
戻りたいのではなく、そのときの自分の状態を思い出そうとしているのかもしれないと感じたのです。
新しいノートに書けなかった理由
子どもの頃からぼくは、新しいノートに最初の一文字を書くのが少し苦手でした。
きれいに使いたい。
間違えたくない。
できれば、ちゃんとした形で始めたい。
そんな気持ちがあって、なかなか最初のページを使えなかったのを覚えています。
いま振り返ると、それは単なる慎重さではなかったのかもしれません。
一度書いてしまったら戻せない。
始めてしまったら後には引けない。
そんな「取り消せないこと」への感覚が、人より少し強かったのだと思います。
立ち止まってしまう理由
そしてその感覚は、大人になったいまも、形を変えて残っている気がします。
新しいことを望んでいるのに、簡単には踏み出せない。
やりたい気持ちはあるのに、どこかで立ち止まってしまう。
以前はそれを迷いだと思っていました。
決断力が足りないのだろう、と。
でも最近は、少し違う見方をするようになりました。
立ち止まっている時間は、前に進めない時間ではなく、自分の感覚を確かめている時間なのかもしれません。
刺激に引っ張られる感覚
いまの社会には、すぐに気分が動くものがたくさんあります。
新しい情報、強い言葉、すぐ結果が出そうに見える選択肢。
そうした刺激に触れていると、「本当に望んでいること」よりも、「いま気分が動くもの」に引っ張られてしまうことがあります。
勢いよく動けるときほど、自分の感覚を置き去りにしてしまうこともあるのかもしれません。
だから、立ち止まっていた時間は、動けなかった時間ではなく、自分の感覚を取り戻そうとしていた時間だったのではないか。
新しいノートにすぐ書き出せなかったあの感覚も、慎重さではなく、「本当にここに書いていいのか」を確かめようとしていた時間だったのかもしれません。
無理をしていなかった自分の感覚
人は過去を思い出すとき、昔に戻りたいと思っているように感じます。
けれども、実際には場所や年齢ではなく、無理をしていなかった自分の感覚を参照しているのではないか。
そんなふうに考えるようになりました。
高校時代の心地よさは、自由だったからではなく、いちいち誰かに自分を説明しなくてもよかった時間だった、まだ途中でよかった時間だったからではないかと思います。
「そのままで行こう」と言われた気がした
もしあの頃の自分が、いまの自分を見たら何と言うだろう。
そんなことを考えたとき、自然に浮かんできた言葉がありました。
「そのままの自分でいいんだよ」
励ましというより、許可に近い感覚でした。
その瞬間、少し安心に近い感覚がありました。
戻る場所ではなく、設計図
いま思うのは、過去は戻る場所ではないということです。
むしろ、これから自然に生きるための設計図のようなものだったのかもしれません。
若い頃の感覚と、これまで積み重ねてきた経験を切り離すのではなく、ゆっくり重ね合わせていく時期に来ているのかもしれません。
いまは、途中のままで
答えが見つかったわけではなく、ぼく自身がこれから進むべき方向が決まったわけでもありません。
ただ、以前より少しだけ、急がなくてもいい気がしています。
その問いを心のどこかに置いたまま、ときどき立ち止まりながら、これからも文章を書いていけたらいいなと思っています。
また少し考えが進んだら、続きを書くかもしれません。

