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ほんとうのことを書くのが怖い理由 ― AI時代に、自分の文章を取り戻すために

窓辺のヴィンテージ・ペンダントライト

最近、土門蘭さんの『ほんとうのことを書く練習』を読みはじめました。

まだ途中ですが、読みながら少し居心地の悪さを感じています。それは、「ほんとうのことを書く」という言葉が、思っていたよりもずっと重いからです。

そして同時に、ひとつの問いが浮かびました。自分はどこまで、ほんとうのことを書けているのだろうか。

目次

黒い服で過ごした一日

今日はゆっくり本を読もうと思い、上下黒の服を選びました。本に合わせたわけではなく、ただの偶然です。

そういえば先日も、上下黒のまま外に出ました。その上から黒のパーカーを羽織り、マスクとメガネ。全身黒です。

ぼく自身は、少し怪しい格好だなと思いながら歩いていましたが、実際には誰にも気にされませんでした。

都会では珍しい出で立ちではなく、むしろ街の中に自然に溶け込んでいました。忍者のように。

これは「ほんとうのこと」なのか

この出来事をSNSに書きながら、少しだけ引っかかるものがありました。

これは、ほんとうのことなのだろうか、と。

事実ではあります。でも同時に、「読まれること」を前提に整えている自分もいました。

少し面白くして、少し安全にして、誰にでも受け入れられる形にしている。その時点で、それはもう“そのままの自分”ではない気もします。

ぼくは、文章が得意ではない

そもそも、ぼくは子どもの頃から文章を書くのが得意ではありません。

だから最近では、AIに清書してもらうと安心します。読みやすくなって、整って、「これなら出しても大丈夫だ」と思えるからです。

でもその一方で、こうも感じています。それは、本当に自分の文章なのだろうか、と。

整えられた文章の中に、自分の迷いや揺れはどれくらい残っているのだろうか。少しくらい下手な文章でも、それが等身大の自分ではないかと思ったりもする訳です。

そんなことを考えていると、もうAIは使わない方がいいんじゃないかと、思うことさえあります。

でも、これはちょっと言い過ぎかもしれません。AIが欠かせない場面はすでにたくさんあるので。

ずっと「AIのような文章」を目指してきた

先日、自分の文章について考えているときに、「自分はAIと同じ方向に寄っているのではないか」と、ふと感じました。

でもよくよく考えてみると、それは最近の話ではありません。ぼくは昔からずっと、そういう文章を書こうとしてきました。

卒がなく、クセがなく、誰にでも通じる中庸な文章。子どもの頃から、そして大人になってからも、そういう文章を書くことを目指してきたように思います。

文章がうまく書けなかったからこそ、そういう教科書的な文章を目指していたのでしょう。

中学生くらいから本を読むようになり、大学では卒論も書き、会社員になってからも、さらに独立してからはたくさん文章を書くようになりました。

なので、振り返ってみると、「誰が読んでも違和感のない文章」を書くことは、わりと得意になっていたような気がします。

それは、確かにひとつの強みでした。

得意だったことが、特別ではなくなった

だからこそ、AIがそれを簡単にやってしまうのを見たとき、正直、少し拍子抜けしました。

ああ、これができるのは自分だけではなかったのか、と。

でも、こういう感覚は、はじめてではありません。

世界的なパンデミックの中で感じたこと

コロナ禍という世界的なパンデミックのときにも、似たようなことを感じました。

ぼくは10年くらいかけて、場所や時間にしばられない働き方をつくってきました。ようやくそんな「ノマドライフ」にたどり着いたと思ったら、社会全体が一気にリモートワークに移行しました。

サラリーマンでも、通勤せずに働けるようになり、時間の融通もきくようになった。

あのときも、やはり拍子抜けしたのを覚えています。

AIもまた、同じ感覚だった

AIの登場も、それとよく似ていました。

時間をかけて身につけてきたものが、一気に“誰でもできること”になる。

それは便利なことでありながら、どこか自分の価値が薄まったような感覚もありました。

では、これから何を積み上げるのか

だからこそ、考えるようになりました。これから自分は、何を積み上げていけばいいのだろうか、と。

整える力は、AIがやってくれる。では、人がやるべきことは何なのか。

その問いの中で、少しずつ見えてきたのが、きれいに整えられた正しさよりも、少しだけ踏み込んだ「その人の揺れ」のほうが、読まれる価値になるのではないか、という感覚です。

これまで避けてきたもの。できるだけ消してきたもの。そこに、これからの文章の価値があるのだとしたら、少しだけ文章を書くときの考え方を変えていく必要がありそうです。

それでも全部は書けない

もちろん、すべてをさらけ出すことはできません。

それは現実的ではないし、必要でもないと思っています。穏やかさからはかけ離れてしまいますよね。

だから結局、ぼくたちはこれからも、どこまで書くか。どこから先は書かないか。

その線引きをしながら、文章を書いていくことになります。

まとめ

この文章も、きっとかなり整えています。完全に無防備ではありません。

でも、これまでよりは少しだけ、自分の内側に近いところを書いてみました。

もし文章を書いているなら、少しだけ考えてみてください。

その文章は、整えることを優先していますか。それとも、少しだけ自分の揺れを残していますか。

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