未来は、突然やってくるものではないと思っています。
いつも、ぼくらが考えてきたことの延長線上に、気づかないうちに現れている。
思考は、目に見えません。
でも、その積み重ねは、少しずつ確実に、現実のかたちを変えていく。
今日は、この一年のはじまりに、そんな思考と未来の関係について、いま感じていることを整理してみようと思います。
あきらめることも、ひとつの思考だった
「思考は現実化する」という言葉があります。
この言葉は、ずっとぼくの座右の銘だったように感じています。
京セラの創業者であり、日本を代表する経営者の稲盛和夫さん、自己啓発の古典『思考は現実化する』を著したアメリカの作家ナポレオン・ヒル、そして世界の2輪レース界で活躍してきたレーシングコンストラクターの森脇護さんなど、立場や分野は違っても、思考が結果を左右するという点で、同じことを語ってきました。
最近、ぼくは少し違う角度から、この言葉を考えるようになりました。
それは、あきらめることもまた、ひとつの思考なのではないか、という問いです。
「そんなの無理だろう」
「自分にはできない」
そう思った瞬間、その思考はすでに現実を動かしはじめている。
結果として、夢は実現しない。
挑戦は起きない。
でもそれは、思考が叶わなかったのではなく、思考どおりに現実が動いたとも言えるのではないか。
そんなふうに思うようになりました。
もちろん、人生のすべてを、自分の思考だけでコントロールできるわけではありません。
病気になることもあるし、事故に巻き込まれることもある。
予期しない出来事は、突然やってきます。
それでも、ぼくらには確かに、コントロールできる部分があります。
ハンドルを握れる部分は、たしかにある
それは、どちらへ向かおうとするか、という部分です。
人生をクルマの運転にたとえるなら、道路状況や天候は選べません。
渋滞に巻き込まれることもあるし、思わぬ工事で遠回りを強いられることもある。
それでも、ハンドルに手を置くかどうか。
どの方向へ切るか。
それだけは、ぼくら自身が決めています。
気づかないうちに、ハンドルから手を離してしまうこともあります。
「もういいや」と思ったとき。
「どうせ無理だ」と感じたとき。
その瞬間、クルマは、どこへ向かうかを失います。
でも、行き先を決めずに走る時間があっても、それはそれで悪くない。
目的地を持たないドライブは、思考を休ませたり、これまで見えていなかった景色に気づかせてくれることもあります。
ただ走る。
景色を眺める。
そんな時間のなかで、また自然と、ハンドルに手を伸ばしたくなる瞬間がやってくる。
だから、夢を叶え続ける必要はないと思っています。
無理に前向きでいる必要もない。
ただ、あきらめるときも、それが自分の思考であることだけは、自覚していたい。
それだけで、未来との向き合い方は変わります。
未来は、すべてを思い通りにできる場所ではありません。
それでも、未来は、ぼくらの思考で動いている。
少しずつ。
もしかしたら、気づかないくらいの速度で。
今日、ハンドルにそっと手を置く。
どこへ向かうかは、今すぐ決めなくていい。
考え続けていれば、未来は、その方向へ動いていく。
それだけは、きっと確かなことだと思っています。
2026年の元旦に、ハンドルを握り直す
今日は、2026年1月1日、元旦です。
一年の始まりにあたるこの日は、これからの夢や目標をあらためて確認するのに、とても大切な一日だと思っています。
大きな目標でなくていいし、はっきりした答えがなくてもいい。
どんな未来へ向かいたいのか、どんな時間を大切にして生きていきたいのか、その方向だけを、今日ほんの少し考えてみる。
それだけで、ハンドルに手を置く意味は、もう十分にあります。
未来は、今日考えたことの延長線上に、また気づかないうちに現れていく。
そんな希望を抱きながら、新しい一年を走り出せたら、それでもいいんじゃないかと思っています。
まとめ
未来は、努力した人だけに与えられるご褒美ではありません。
考えた人の方向へ、少しずつ動いていくものだと思っています。
あきらめたことも含めて、ぼくらは、これまで自分の思考で未来を動かしてきました。
ならばこれからも、完璧でなくていいから、ハンドルに手を置き続ければいい。
どこへ向かうかは、決め直していい。
立ち止まってもいいし、遠回りしてもいい。
未来は、今日の思考の続きに、また現れていく。
そのことを、これから先の道を考えるときの道標としてそっと置きながら、新しい一年を進んでいけたらと思います。

